特集:外国人材と働く福利厚生や安定性、日本企業の魅力でタイ人材確保を

2020年1月21日

ジェトロ・バンコク事務所に寄せられる相談の中でも、人材・労務は、相談件数や企業の関心の高さという点で、重要なテーマの1つだ。またタイでは、2019年5月、改正労働者保護法が施行され、企業の労務管理に対する関心はさらに高まっている。特に、駐在員が管理職経験のない営業や技術系出身の場合、外国に赴任し、初めて外国人の部下を管理するのは容易ではない。他方、近年は、現地法人においてタイ人を幹部に登用する「現地化」の推進、また優秀なタイ人を日本で受け入れようとする企業の動きもみられる。こうした状況を踏まえ、本稿では、タイの労働市場の概況、タイ人就労者が日本企業に求めるもの、また日本企業側の留意点などについて説明する。

タイの労働市場、低い失業率と少子高齢化

タイの労働市場は、約4,000万人といわれる。このうち、6割近くの2,100万人がインフォーマルセクター(注1)、約350万人が公務員、約1,500万人が民間企業に(うち、日系企業に約90万人)属するといわれている(注2)。また、法定最低賃金(2018年4月改定)は、地域により異なるが、1日当たり308~330バーツ(1,078~1,155円、1バーツ=約3.5円)である。1カ月の給与は30日分で計算されることから、月額最低賃金は約1万バーツ程度となる。しかし、こうした最低賃金で実際に雇用できるのは、清掃スタッフなどに限られるのが現状だ(表1参照)。さらに、日系企業が多く進出するバンコク首都圏や工業地帯を中心に、タイの労働コストの負担が増している。

表1:職種別の賃金年間総支給額(平均値)(単位:バーツ)
項目 ワーカー
(正規雇用)
熟練工 エンジニア ジュニア
マネジャー
シニア
マネジャー
ゼネラル
マネジャー
全国平均 225,739 372,721 473,757 923,058 1,382,756 2,159,466
バンコク平均 243,110 343,561 514,275 915,761 1,447,892 2,020,204

出所:在アジア日系企業における現地スタッフと待遇に関する調査2019年版(株式会社日経リサーチ)

その要因の1つとして、タイの失業率が2000年以降、低下傾向にあることが挙げられる。1999年に3.0%だった失業率は、2010年に0.6%まで下がり、2019年10月現在も0.7%である。日本(2.4%)、ベトナム(1.9%)と比較しても、タイの失業率の低さは際立っている(図1参照)。他方、高等教育修了者の失業率が、基礎教育修了者よりも高い。タイでは、理系人材が社会や企業のトップに立つケースが少ないなど、高度スキルを有する高学歴者が活躍する社会的体制がこれまで十分にできてこなかったことが考えられる(図2参照)。この点、理系分野へ就職する学生を減少させ、後述する「エンジニアなどの高度人材の不足」にもつながっていると思料される。

図1:失業率の推移(単位:%)
日本、1999年4.7、2000年4.7、2005年4.4、2010年5.1、2015年3.4、2019年2.4。 タイ、1999年3.0、2000年2.4、2005年1.4、2010年0.6、2015年0.6、2019年0.7。 ベトナム、1999年2.3、2000年2.3、2005年2.2、2010年1.1、2015年1.9、2019年1.9。

出所:世界銀行統計(2019年10月時点)を基にジェトロ作成

図2:タイの学歴別の失業率の推移(単位:%)
高等教育修了者、2010年1.8、2011年1.8、2012年1.3、2013年1.3、2014年1.3、2015年1.4、2016年1.5、2017年1.7、2018年1.6。 中等教育修了者、2010年1.0、2011年1.1、2012年0.9、2013年0.8、2014年0.8、2015年0.9、2016年0.9、2017年1.2、2018年1.1。 基礎教育修了者、2010年0.5、2011年0.5、2012年0.5、2013年0.4、2014年0.5、2015年0.5、2016年0.6、2017年0.6、2018年0.6。

出所:世界銀行統計(2019年10月時点)を基にジェトロ作成

また、国連の世界人口予測によれば、タイは既に65歳以上の国民が総人口の7%を超える「高齢化社会」に入っている。また2022年には、65歳以上が人口の14%を超える「高齢社会」に入ると予測される。他方、20歳未満の国民が総人口の30%以下と、若年層の割合は少なく、労働力不足は社会が直面している大きな課題となっている。こうしたことから、2019年5月、公務員などの一部の職業では定年が70歳に延長されることが決定されたほか、それ以外の業種でも、従業員が60歳で定年を迎えた後、延長雇用される場合が多くみられる。在タイ日系企業では、製造業で約6割、非製造業で約4割の企業が、雇用延長制度を有している(注3)。

高まる高度人材ニーズ:ICT人材と幹部人材

在タイ日系企業が抱える課題として、エンジニアやマネージャーなどの高度人材の不足が指摘されている。バンコク日本人商工会議所(JCCバンコク)が実施した、2019年上期日系企業景気動向調査によると、経営上の問題点の中でエンジニア不足は第3位に、また事務系マネージャーの不足については第6位となっている。高度人材不足を経営上の大きな課題と捉える傾向が、近年続いている。タイで長年にわたり、多くの日系企業に人材を紹介してきたパーソネル・コンサルタント・マンパワー・タイランドの山本真知子マネージャーは、「日系企業による情報通信技術(ICT)人材への需要が高まっている。特に、プログラミング、データベース管理ができる人材は、質と量ともに供給が足りていない。根本的には小学校等基礎教育の強化が鍵となる」と指摘する。

また、幹部候補生、マネージャー人材に対する需要も増えている。駐在員の代わりに、タイ人幹部を登用するなど「現地化」推進への関心が、日系企業の間で高まっているためだ。コスト削減のほか、日本人の海外人材不足なども理由と思われる。タイ法人の役割も、時代の変化とともに、単なる生産コストの削減から、高付加価値製品の開発、地域統括、地場企業との関係構築強化などにシフトしつつある。こうした中、タイ人を幹部に登用し、自ら考え、行動していく必要性が高まっているといえる。

働きやすい環境でジョブホッピング防止

日系企業にとっては、転職(ジョブホッピング)も大きな課題だ。もともとタイでは、基本的にはどの業種においても、毎年の新卒採用より、即戦力となる中途人材の採用が一般的だ。そのため、従業員側も転職を繰り返し、多くの職場を経験し、スキルアップを目指す傾向がある。その際の転職の理由は、必ずしも給与額の多寡だけではない。タイ人就労者や企業の人事担当者に聞くと、「上司や同僚との良好な人間関係」「コミュニケーションを取りやすい職場」「自身の成長につながる業務内容」など、タイ人が重視するポイントが見えてくる。こうしたタイ人の価値観を理解し、心地よく働ける環境を提供することで、ジョブホッピングを防止している企業も多い。

日系企業の位置づけ:福利厚生や安定性に期待

自動車や電機・電子産業を中心に、多くの日系企業がタイに集積しており、タイ人にとって就職先としての日系企業の存在感は小さくない。JCCバンコクは2019年6月、優秀なタイ人の日系企業への就職を支援するため、バンコク市内で「日系企業就職フェア」を開催。ジェトロはその会場で、就職活動中の20~30代のタイ人男女100人にアンケートを実施し、日系企業で働くことへの期待や不安について聞いた。

日系企業への就職を希望する理由として、福利厚生(1位)、賃金(2位)、安定性(3位)が上位に挙げられており、福利厚生や安定性が、日系企業への期待として上位にあることは注目される。実際タイでは、世界基準の私立病院が多数存在するが、公的な社会保険制度では、こうした私立病院の医療サービスは対象にならないのが実態だ。そのため、タイの大手企業も、従業員とその家族も対象となるような民間医療保険に加入し、手厚い福利厚生を提供することで、優秀なタイ人の採用を図っている。

一方、日系企業で就職する際の懸念事項としては、言語(1位)、意思疎通(コミュニケーション)(2位)、文化の違い(3位)が挙げられた。タイ人を受け入れるには、期待されている「福利厚生」や「安定性」に応え、かつ言語や文化の違いからくる不安や障壁を緩和し、良好なコミュニケーションを図れる職場環境づくりが重要といえるだろう(表2参照)。

表2:「JCC日系企業就職フェア(2019年6月)」でのタイ人就職希望者へのアンケート調査結果

質問1:日系企業での就職を希望する理由(期待するもの)
1位 福利厚生(68)
2位 賃金(67)
3位 安定性(66)
4位 経験の為(55)
5位 その他(4)

※「その他」の回答例:日本文化への関心、日本について学んでいる、日本企業の規則正しさ

質問2:
関心のある就業分野
1位 製造業(50)
2位 観光(23)
3位 物流(20)
4位 情報通信(18)
5位 食品(13)
質問3:
日系企業で働く際の懸念事項
1位 言語(69)
2位 意思疎通(59)
3位 文化の違い(26)
4位 仕事量(12)
5位 給与(0)
質問4:(在タイ日系企業ではなく)日本で就職を希望するか否か
1位 希望する(72)
2位 希望しない(8)
3位 わからない(20)

※「希望する」と回答例:経験を積むため、異文化に触れられる、日本語を覚えられる
※「希望しない」と回答例:家族と離れたくない、ストレスのある日本社会を好まない

注:就職活動中の20~30代のタイ人男女100人を対象にランダムに質問。()内は回答数、複数選択可。
出所:JCC日系企業就職フェアでのジェトロアンケート

日本での就労を通じ、「海外人材」として戦力に

また、上述の山本マネージャーによれば、「在タイ日系企業に限らず、日本国内の企業からも、海外の高度人材を受け入れたいという要望が来ている」と説明する。外国人人材を探す際、日本企業がまず挙げる条件が「日本語が話せるタイ人」だ。高度人材不足が指摘されているタイにおいて、優秀なエンジニアで、日本語が話せ、かつ家族と離れてまで日本で就労したいという人材を探すのは簡単ではない。また、日本に対しては深夜残業、ワークライフバランスに欠ける生活、などというイメージも根強い。それらを乗り越えて高度人材を受け入れるには、日本企業も、英語対応が可能な日本人を確保するなど、相応の準備が重要となるだろう。山本マネージャーは、「日本語力にこだわらず、日本企業側が『英語対応可』とするだけで、紹介できる人材の幅は広がる」と説明する。

実際、現在でも多くのタイ人が各国で就労している。2018年のタイ人の海外就労先を国・地域別でみると、台湾(1位)、韓国(2位)、日本(3位)の順に多い(表3参照)。台湾への出稼ぎは1980年代に始まり、給与額などを理由に、人気の就労先である。韓国は、外国人の非熟練労働者を受け入れる「雇用許可制度(EPS)」を2000年代に導入、タイを含む各国との間で覚書を締結しており、締結国からの外国人労働者に就労ビザを与え、人手不足に苦しむ韓国の中小企業への人材供給につなげている。

タイの経済発展に伴い、日系企業より地場企業への就職を選択するタイ人も増えているほか、直近では米中貿易摩擦を背景に、従来、影が薄かった中国企業によるタイへの投資も増加傾向にある。優秀な人材確保のため、日本企業は、タイ人従業員のニーズに応え、日本企業で働くことの「魅力」をしっかりと示していくことが求められている。

表3:タイ人の海外就労許可数と派遣組織(国・地域別、2018年)
順位 国・地域 総数
(人)
総数の内訳:手配手段・斡旋機関別の派遣人数
自己
手配
現地での継続就労
(Re-entry)
タイ労働省による手配 雇用者手配(社内転勤など) 人材紹介会社による手配
1位 台湾 33,352 66 12,818 80 51 20,337
2位 韓国 12,334 60 5,913 6,235 115 1
3位 日本 9,058 301 1,585 425 3,408 3,339
4位 イスラエル 8,409 104 3,271 5,034 0 0
5位 マレーシア 8,114 286 6,946 40 531 311
総計 (その他の国・地域を含む) 114,801 9,271 53,170 11,908 14,029 26,423

出所:タイ労働省雇用局海外就労管理課

タイでは5,444社の日系企業が活動しており(2017年5月時点)、自動車や電機・電子産業を中心に、「日本のオフショア工場」といえるような、大きな産業集積を築いている。他方、タイでは賃金(所得)水準が上昇、少子高齢化が進むことが予想されるなど、既に労働者不足は顕在化している。タイで研究開発(R&D)人材の育成に取り組む日系企業の担当者は、現地日系企業の間で、高度人材の獲得競争が激しくなる可能性を指摘する。

加えて、タイ人が日本で就労する場合は、その他の上位国に比べ、雇用者による手配が多くなっている。これは、タイ法人から日本の親会社への派遣など、企業やグループ企業内での転勤などと思料される(表3参照)。また、日本で就労するタイ人材には、技術やマネジメントスキルを学び、日本本社における海外人材として、またはタイ現地法人での戦力として活躍することが期待される。日本における就労を通じて、事業の核となる「人材」を育成し、日系企業のさらなる成長につなげられるかが、日本企業の今後の成長にも重要といえるだろう。


注1:
経済活動が行政の指導下で行われておらず、国家統計などの正式な記録に表れにくいもの。
注2:
「バンコク日本人商工会議所・2019年賃金労務実態調査」概要資料による。
注3:
「バンコク日本人商工会議所・2019年賃金労務実態調査」概要資料による。
執筆者紹介
ジェトロバンコク事務所 シニアインベスメントアドバイザー
田口 裕介(たぐち ゆうすけ)
2007年、ジェトロ入構。海外産業人材育成協会(AOTS)バンコク事務所出向(2014~2017年)、アジア大洋州課(2017~2018年)。2018年より現職。
執筆者紹介
ジェトロ・バンコク事務所
今泉 美里(いまいずみ みさと)
2018年よりジェトロ・バンコク事務所にて勤務。投資交流部にて、タイでの会社設立にかかる情報収集などを担当している。

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