特集:エネルギー安全保障の強化に挑む欧州ロシア産化石燃料依存からの脱却へ
気候変動対策から安全保障への転換(3)
2022年9月1日
「欧州グリーン・ディール」(注)に代表される気候変動対策から、ロシアによるウクライナ侵攻を機に、安全保障政策へと重点を移しつつあるEUのエネルギー政策を解説する4回シリーズ。第3回では、欧州委員会が2022年3月に概要を、5月に詳細を発表した、天然ガスを中心としたロシア産化石燃料からの依存脱却計画「リパワーEU」と、同計画の実現に必要な投資に関する試算を解説する(2022年8月9日時点の情報に基づく)。なお、「リパワーEU」の具体的な内容については、第4回で紹介する。
「リパワーEU」の概要
欧州委は5月18日、2022年末までにロシア産化石燃料の依存を大幅に低下させ、2030年よりもかなり早い段階での依存解消の達成を目指す「リパワーEU」計画の詳細を発表した(2022年5月20日付ビジネス短信参照)。第1回で述べた通り、EUはこれまでもエネルギー供給の多角化という目標を掲げてきたものの、天然ガスの消費量の90%を輸入しており、そのうち45.3%がロシア産である。また、EUの石油輸入量の27%、石炭輸入量の46%がロシア産となっており、エネルギー供給におけるロシア依存は依然として非常に高いままである。ロシアによるウクライナ侵攻を機に、EUにとってロシアが安全保障上の脅威であり、ロシアへのエネルギー依存はEUの脆弱(ぜいじゃく)性につながるとの認識が加盟国間で広く共有されたことで、現状のロシア産化石燃料依存の解消が急務となったのである。欧州委は3月8日に、新たなエネルギー安全保障政策としてロシア産化石燃料依存の脱却計画「リパワーEU」の概要を発表し、欧州理事会(EU首脳会議)は3月11日、これを承認した(2022年3月14日付ビジネス短信参照)。欧州理事会の承認を受けて、欧州委は5月18日に同計画をより具体化した政策文書を公表した。
「リパワーEU」は、(1)エネルギーの効率化などによる省エネ、(2)エネルギー供給の多角化、(3)再生可能エネルギーへの移行の加速を計画の柱としており、ロシア産化石燃料依存からの早期脱却の実現に向けて、以下の通り、短期的および2027年までに実施すべき中期的措置を提案している(参考参照)。
参考:「リパワーEU」の一環として欧州委が提案する措置
- 短期的措置
- EUエネルギー・プラットフォームを通じた天然ガス・LNG・水素の共同購入
- 信頼できる供給元との新たなエネルギー・パートナーシップの構築
- 太陽光発電を中心とした再エネ設備の早期設置
- バイオメタンガスの増産
- 水素分野での「欧州共通利益に適合する重要プロジェクト(IPCEI)」の初承認
- 市民や企業への呼びかけなどEU省エネ計画の推進
- 2022年11月までにガス備蓄8割の達成
- ガス需要削減計画の策定
- 2027年までに実施すべき中期的措置
- 復興レジリエンス・ファシリティ(RRF)に基づく新たな国別復興計画の策定と実施
- イノベーション基金を通じた産業界の脱炭素化支援
- 「再生可能エネルギー特区」の指定と認可の迅速化に向けた法整備
- ガス・電力の域内ネットワークの強化に向けたインフラ投資
- エネルギー効率化目標の引き上げ
- 再生可能エネルギー比率目標の引き上げ
- 産業界の重要な原材料のアクセス確保に向けた提案
- 運輸部門でのエネルギー効率化を引き上げる規制措置
- クリーン水素の域内生産の強化
- 水素の現代的な規制枠組みの整備
出所:欧州委員会の資料を基にジェトロ作成
「リパワーEU」は、エネルギー安全保障政策であるものの、エネルギーの効率化や再生可能エネルギーへの移行など、前提となるのは、EUの気候変動対策の中核をなす「欧州グリーン・ディール」推進。つまり、2030年温室効果ガス削減目標(1990年比で少なくとも55%削減)を達成するための政策パッケージ「Fit for 55」(2021年7月15日付ビジネス短信参照)の実施である。また、第2回で解説したエネルギーの共同調達と備蓄の強化に向けた政策(2022年3月24日付ビジネス短信参照)も、ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、欧州委が方針を大きく転換したものであり、「リパワーEU」の一翼をなすものだ。
欧州委は「リパワーEU」を、「Fit for 55」に上乗せする政策と位置付けていることから、「Fit for 55」で提案された2030年の数値目標にも修正が加えられている(表1参照)。1990年比で温室効果ガスを55%削減するとの目標自体は維持するとした一方で、「Fit for 55」(2021年7月20日付ビジネス短信参照)において大幅な引き上げが提案されていた最終エネルギー消費ベースに占める再生可能エネルギー比率を、「Fit for 55」で提案された「少なくとも40%」から「少なくとも45%」に引き上げる改正案を発表した。さらに、この改正案には、同じく「Fit for 55」で引き上げが提案されていた2020年時点でのEUベースライン予測値に対するエネルギー効率の改善目標「少なくとも9%」を「少なくとも13%」に引き上げる提案も含まれている。なお、温室効果ガスの55%削減目標は欧州気候法により、既に法制化されており、「Fit for 55」で提案された再生可能エネルギー比率目標およびエネルギー効率化目標もEU理事会(閣僚理事会)で合意されており、欧州議会との交渉が予定されている。一方で、「リパワーEU」で提案された各目標については、今後あらためて審議される見込みである(2022年7月4日付ビジネス短信参照)。
項目 |
2014年 合意 |
2018年 改正 |
2021年提案 「Fit for 55」 |
2022年提案 「リパワーEU」 |
---|---|---|---|---|
温室効果ガス削減目標(1990年比) | 40%削減 | 40%削減 | 55%削減 | 55%削減 |
再生可能エネルギー比率目標 | 27% | 32% | 40% | 45% |
エネルギー効率化目標 | 27% | 32.5% | 36%=2020年比で9%改善 | 2020年比で13%改善 |
出所:欧州委員会の資料を基にジェトロ作成
「リパワーEU」において、依存解消の重点が置かれるのは、ロシア産天然ガスである。第2回で述べた通り、制裁パッケージ第5弾でロシア産石炭の輸入禁止を、制裁パッケージ第6弾で海上輸送によるロシア産原油の輸入禁止を決定しており、石炭や原油に関しては早期の依存脱却が比較的容易とみられる。一方で、天然ガスに関しては、ロシアはEUへの最大の供給元であり、依存度も高い。そこで、「リパワーEU」は、早期の依存脱却がより困難であるロシア産天然ガスに焦点をおき、2022年末までにロシア産天然ガスのEU域内需要を3分の1程度に低下させること、さらに2030年よりもかなり早い段階で依存解消を実現することを目標に掲げている。「リパワーEU」では、エネルギーの効率化や再生可能エネルギーへの移行などの「Fit for 55」の実施、2022年3月に発表したエネルギー共同調達などの政策、天然ガス価格の高騰による需要減、液化天然ガス(LNG)やパイプライン経由の天然ガスの供給先の多角化を組み合わせることで、2027年までに2,350億立方メートルの天然ガスの需要を、2030年までに累計で3,100億立方メートルの需要を、削減することが可能だとしている。EUの2019年のロシア産天然ガスの輸入量が1,950億立方メートルであったことから(2021年の輸入量は1,550億立方メートルと減少したが、例年はおおむねこの水準を上回っている)、これらの政策を実施することで、2027年にはロシア産天然ガスへの依存から脱却できるとしている。
「リパワーEU」の実現に向けた投資試算
欧州委によると、現行の中期予算計画(多年度財政枠組み:MFF)の期限となる2027年までに2,350億立方メートルの天然ガスの需要を削減するためには2,100億ユーロの追加投資が必要と試算。また、2030年までに3,100億立方メートルの需要削減のためには、累計で3,000億ユーロの追加投資が必要だと試算している。これは、「Fit for 55」の実現に向けた投資とは別に必要となる投資額であり、「Fit for 55」向けの全投資額の約5%に相当するとしている。「Fit for 55」と「リパワーEU」を実現することで、ガス、石油、石炭の年間輸入コストをぞれぞれ800億ユーロ、120億ユーロ、17億ユーロを節約できるとして、これらの投資による経済的な効果は高いとしている。必要とされる投資の内訳は、以下の通りである(表2参照)。
時期 | 措置 | 天然ガス削減量(10億立方メートル) | 必要な投資額(億ユーロ) | 補足説明 |
---|---|---|---|---|
Fit for 55による削減 (2030年まで) |
Fit for 55の全政策 | 116 | 天然ガス需要の30%削減を想定 | |
短期的措置 | 供給元の多角化(既存インフラを利用したLNGの追加供給) | 50 | ||
供給元の多角化(既存インフラを利用したパイプライン経由の輸入) | 10 | — | 約1,100億立方メートル分の長期契約を予定(2030年) | |
石炭発電の段階的廃止の延期・運転時間の延長 | 24 | 20 | 既存インフラの活用 | |
原子力発電所の廃炉の取りやめ | 7 | — | ベルギー・フランスの決定分 | |
住宅・サービス部門の燃料切り替え | 9 | 価格変動に基づく燃料切り替え | ||
EU省エネ計画(需要抑制措置) | (10) | — | 削減量には含めず | |
EU省エネ計画(産業部門の削減) | — | — | 緊急措置 | |
中期的措置 (2027年まで) |
新たなLNGインフラおよびパイプライン回廊 | — | 100 | 障害が取り除かれた場合、年間456億立方メートル程度のLNGの追加供給を受けることが可能 |
電力グリッド・貯蔵施設への追加投資 | — | 390 | 貯蔵施設は約100億ユーロ | |
バイオマス発電 | 1 | 20 | ||
エネルギー効率化とヒートポンプ | 37 | 560 | ||
太陽光発電(PV)と風力発電 | (21) | 860 | 120億立方メートル分は水素の域内生産の追加分、9億立方メートル分はガス火力発電からの代替分として(この削減分は、表の別の措置の削減分の一部としてカウントされる) | |
持続可能なバイオメタン | 17 | 370 | ||
産業部門の消費削減 | 12 | 410 | 電化、エネルギー効率化、水素などへの燃料切り替えなど(水素やバイオメタンの生産コストは含まない) | |
長期的措置 (2027年までとそれ以降) |
グリーン水素(域内生産・輸入) | 27 | 270 | 域内の電解槽、供給システムへの直接投資分(PVや風力発電への投資分は含まない) |
合計 | 310 | 3,000 |
注:「天然ガス削減量」のかっこ内の削減分は参考値のため、合計には含まれていない。
出所:欧州委員会の資料を基にジェトロ作成
具体的には、建物のエネルギー効率改善(ヒートポンプも含む)に560億ユーロ、太陽光発電(PV)と風力発電に860億ユーロ、水素関連(電解槽やパイプライン・貯蔵インフラへの直接投資のみ)に270億ユーロ、バイオメタン関連に370億ユーロなどとなっている。また、この他に、産業部門での電化、エネルギー効率改善、水素への代替などに410億ユーロ、LNGやパイプラインなどのガス関連インフラに100億ユーロ、電力網や貯蔵などに390億ユーロの投資が必要としている。
欧州委は、こうした「リパワーEU」の実現に向けた各政策への投資は、EUおよび加盟国からの財政出動に加えて、民間からの投資を呼びこむことを想定している。EUからの拠出分に関しては、主な原資として、新型コロナ禍からの復興基金「次世代のEU」の中核予算「復興レジリエンス・ファシリティ(RRF)」(2021年2月15日付ビジネス短信参照)を充てるとしている。RRFは、欧州委がEU名義の債券を発行し、市場から資金を調達した上で、加盟国に対して提供する臨時のEU予算である。時価ベースで3,380億ユーロの返済不要の補助金と3,858億ユーロの融資からなっているが、融資分については加盟国からの申請が予定を大きく下回っており、2,250億ユーロ分の割当がされていない。そこで、欧州委は、このRRF融資の未割当分に加えて、EUの排出量取引制度(EU ETS)の市場安定化リザーブ内の排出枠を新たに販売することで200億ユーロをRRFに新たに組み込み、他のEU予算からも「リパワーEU」関連政策に組み換えを行うことで、約3,000億ユーロの資金投入が可能としている。欧州委は、RRFの「リパワーEU」向けの予算執行を可能にするとともに、RRFの予算執行の前提となる国別復興計画において、「リパワーEU」に関する独立した章の追加を加盟国に対して求めるために、RRF設置規則の改正も提案している。また、欧州委が直接管理するEU予算に関しても、欧州委は、低炭素関連技術を支援するイノベーション基金の2022年の大規模プロジェクト向け予算を倍増。産業部門での革新的な電化や水素の利用、電解槽、燃料電池、エネルギー貯蔵、ヒートポンプなどのプロジェクトを対象として、2022年秋に30億ユーロ規模の公募を実施する予定だとしている。
- 注:
- 「欧州グリーン・ディール」の詳細は調査レポート「『欧州グリーン・ディール』の最新動向(全4回報告)」(2021年12月)参照。
- 執筆者紹介
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ジェトロ・ブリュッセル事務所
吉沼 啓介(よしぬま けいすけ) - 2020年、ジェトロ入構。