特集:エネルギー安全保障の強化に挑む欧州EUエネルギー政策と欧州グリーン・ディール
気候変動対策から安全保障への転換(1)
2022年9月1日
EUのエネルギー政策は、ロシアによるウクライナ侵攻を機に、これまでの気候変動対策を前面に押し出した政策から、安全保障の側面をより強調した政策へと重点が移りつつある。EUでは従来、加盟国間のエネルギー市場の統合と制度の調和を段階的に進めることで、エネルギー分野での域内市場の確立を基本政策としてきた。一方で、EU排出量取引制度(EU ETS)の導入や域内全体での温室効果ガス(GHG)の削減目標の設定など、気候変動対策にも積極的に取り組んでいる。特に、2019年12月に就任した欧州委員会のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長は2050年までのEUの気候中立を目指す「欧州グリーン・ディール」を最優先課題に掲げ、脱炭素化に向けたエネルギー政策の方針を発表。新型コロナウイルス禍からの復興でも、脱炭素化政策を柱に据えるなど、「欧州グリーン・ディール」の方針を維持。「欧州グリーン・ディール」実現に向けたエネルギー関連法案を立て続けに発表した。こうした中で、欧州では2021年夏以降、天然ガス価格が高騰し、連動するかたちで電力価格も高騰。さらに2022年に入り、EUへの天然ガスの最大の供給元であるロシアによるウクライナ侵攻により、エネルギー価格の高騰に追い打ちをかけるかたちで、天然ガスの供給不足というエネルギー危機に直面している。欧州委はこれまで、エネルギー価格の高騰に対して、現行の法的枠組みの中で乗り切ろうとする短期的な対応策を発表してきた。しかし、ウクライナ侵攻に伴う地政学的な変化により、エネルギーの安定供給が危ぶまれる事態に発展する中で、欧州委は「欧州グリーン・ディール」の方向性を堅持する一方で、ロシア産化石燃料依存からの脱却計画「リパワーEU」を発表するなど、EUにおけるエネルギー政策は「欧州グリーン・ディール」だけでなく、安全保障も重視するものへと変化しつつある。
4回シリーズの第1回となる本稿では、まず、域内のエネルギー市場の統合を目指すエネルギー同盟戦略などEUの基本的なエネルギー政策と「欧州グリーン・ディール」のエネルギー政策の概要について解説する。「欧州グリーン・ディール」に必要な投資を誘導するためのサステナブル・ファイナンス政策の中核「EUタクソノミー」規則についても、話題を集めた天然ガスと原子力発電の持続可能な経済活動への分類をめぐるこれまでの動きを紹介する。第2回は2021年夏以降のエネルギー政策の最新動向、第3回は新たなエネルギー安全保障政策「リパワーEU」の概要、第4回は「リパワーEU」の各計画の詳細について、それぞれ紹介する。なお、本稿は2022年8月9日時点の情報に基づく。
EUエネルギー政策の経緯
EUでは、域内のエネルギー市場の統合こそが、安価なエネルギーの安定供給を確保する上で、最もコスト効率良い制度設計であるとの理念の下で、加盟国をつなぐエネルギーインフラの構築のほか、エネルギー市場の自由化や域内共通ルールなどの加盟国間の国境を越えた自由なエネルギーの輸送を実現するための法整備が段階的に進められてきた。1990年代初めのEUのエネルギー市場は加盟国別に分かれ、国営企業などによる独占状態にあったが、1996年の第1次エネルギーパッケージ以降、2003年の第2次エネルギーパッケージ、2009年の第3次エネルギーパッケージにより、電力市場やガス市場の自由化や発電・配電・小売りなどの垂直統合型企業の分離のほか、域内市場全体を監督するエネルギー規制当局間協力庁(ACER)の設置などの政策が段階的に実施されてきた。
その後、欧州理事会(EU首脳会議)は2014年、エネルギー市場の統合を完了するとともに、エネルギー政策での気候変動対策を強化することで合意。EU全体の2030年目標として、1990年比でGHG排出量を少なくとも40%削減、エネルギー消費に占める再生可能エネルギー比率を少なくとも27%にすること(2018年に32%に修正)、エネルギー効率を少なくとも27%(2018年に32.5%に修正)改善などを設定した。この合意に基づき、欧州委は2015年、現在のエネルギー政策の基本的な枠組みとなる戦略「エネルギー同盟」を発表。(1)エネルギー源・供給元の多角化と加盟国間の連帯によるエネルギーの安定供給、(2)完全に統合したエネルギー域内市場の実現、(3)エネルギー効率の向上、(4)経済の脱炭素化、(5)研究、イノベーション、競争力の強化を目標として掲げた。2016年に提案した第4次(クリーン)エネルギーパッケージ(2019年までに採択済み)では、こうした数値目標を法制化し、各加盟国に国別エネルギー気候計画の策定を義務付けたほか、電力市場のさらなる統合に向けて共通ルールの制定など市場設計の現代化を図った。
EUの卸電力市場の基本設計
EUの卸電力市場(スポット取引市場)では、電力価格は平均費用ではなく限界費用に基づいて決定されている(pay-as-clear方式とも呼ばれる)。これは、需要を最終的に満たす電源、つまり入札が成立した中で最も高い電源(限界電源)の限界価格により電力価格が決まる制度だ。この制度では、市場に参加する全ての発電事業者は発電方法にかかわらず、同一価格(=限界電源の限界価格)で電気を販売することになる。太陽光や風力を利用する再生可能エネルギーは限界費用がゼロであり、理論上は常に最安となる。一方で、天然ガスの限界費用は天然ガス価格に比例する。現状では天然ガスが最も高い電源となることから、電力価格は天然ガス価格によって決定される。つまり、電力価格は天然ガス価格と実質的に連動している。
欧州グリーン・ディールのエネルギー政策
欧州委員会のフォン・デア・ライエン委員長は2019年12月の就任と同時に、2050年までにEU全体でGHG排出を実質ゼロにする「気候中立」の達成を目指す「欧州グリーン・ディール」政策を新体制の最優先課題に掲げた(2019年12月12日付ビジネス短信参照)。欧州委は2020年3月に、2050年までの気候中立を法的拘束力のある目標とし、2030年のGHG削減目標を、当時の目標値だった1990年比で「少なくとも40%」から、「少なくとも55%」の削減に引き上げる欧州気候法案を発表(2020年3月6日付ビジネス短信参照)。欧州気候法案は、EU理事会(閣僚理事会)と欧州議会の政治合意を経て(2021年4月22日付ビジネス短信参照)、2021年7月29日に施行された。欧州委は2021年7月14日、新たな2030年削減目標を達成すべく、政策パッケージ「Fit for 55」の第1弾を発表(2021年7月15日付ビジネス短信参照)。「Fit for 55」(注1)は、気候目標やエネルギー、土地利用、運輸、税制の各分野のイニシアチブを組み合わせた包括的な内容となっている。エネルギー政策に関しては、2030年までにEU全体で最終エネルギー消費ベースに占める再生可能エネルギー比率を、2020年の実績値(2022年1月25日付ビジネス短信参照)から2倍弱の「少なくとも40%」へと大幅に引き上げる再生可能エネルギー指令の改正案や、EU全体の効率化目標である最終エネルギー消費ベースで36%削減(2020年時点でのEUベースライン予測値に対して2030年までに少なくとも9%改善)に引き上げるエネルギー効率化指令の改正案などを含む第5次エネルギーパッケージ(2021年7月20日付ビジネス短信参照)を提案した。
タクソノミーでの天然ガスと原子力の取り扱い
「欧州グリーン・ディール」に必要な投資を誘導するサステナブル・ファイナンス政策の一環として、環境面で持続可能な経済活動を分類するEUタクソノミー規則(注2)でも、エネルギー政策に大きな影響を与える動きがあった。天然ガスと原子力による発電を一定条件の下で持続可能な経済活動に含める委任規則が成立したのだ。この委任規則は7月15日にEU官報に掲載され、2023年1月1日から適用を開始する。
タクソノミー規則とは、企業や投資家に対して、その経済活動が「環境的に持続可能かどうか」を決定するための統一した基準を示すことを目的として、投資家が「持続可能かどうか」を特定するための指標となる分類制度だ。タクソノミー規則は、EUが推進する「欧州グリーン・ディール」で、グリーンウォッシング(実質を伴わない環境訴求)を防止しつつ、持続可能な経済活動への投資を促す、サステナブル・ファイナンス政策の中核政策である。タクソノミー規則では、民間金融セクターに対しては一定の情報開示義務を課すものの、金融商品へのタクソノミー規則の適用は任意で、金融市場参加者に対しても、タクソノミー規則で持続可能と分類した経済活動に投資することを求めるものでもない。しかし、サステナブル・ファイナスへの関心が急速に高まる中で、タクソノミー規則で持続可能な経済活動の分類にエネルギー分野も含まれることから、エネルギー関連投資にも大きな影響を与えるとみられている。
タクソノミー規則は「環境面で持続可能な経済活動」として 6つ環境目標に関する活動類型を導入している。欧州委は2021年4月21日、6つの環境目標のうち、「気候変動への緩和」と「気候変動の適応」に実質的に貢献する活動を定義すべく、委任規則案を発表(2021年4月22日付ビジネス短信参照)。12月9日にEU官報に掲載し、2022年1月1日から適用を開始した。
しかし、天然ガスや原子力による発電に関しては、加盟国間で意見が対立していたことから、2021年4月21日発表した委任規則には含まれず、別途の委任規則によって規定することとなった。欧州委は2021年12月31日、天然ガスと原子力による発電を一定条件の下で持続可能な経済活動に含める方針を発表。2022年2月2日には、天然ガスと原子力発電を持続可能な経済活動に分類する委任規則案を提案した(2022年2月4日付ビジネス短信参照)。一方で、この欧州委の方針に対しては、反発の声も上がった。有識者からなる欧州委の諮問機関「サステナブル・ファイナンス・プラットフォーム」は1月24日、一定の条件を課したとしても天然ガスや原子力による発電は持続可能な活動とは言えないとする見解を発表(2022年1月25日付ビジネス短信参照)。また、ロシアによるウクライナ侵攻を機に、ロシア産化石燃料依存からの早期脱却で合意する中で、天然ガスによる発電を持続可能な経済活動と分類することは中長期的な天然ガスへの依存を招きかねないとして、反対の声が強くなっていた。こうした中で、欧州議会の経済・金融委員会と、環境・公衆衛生・食品安全委員会がともに6月14日、委任規則案に対する反対決議を採択。他方で、ロシアがEUへの天然ガス供給を減らす中で、原子力の重要性が見直されるなど、欧州委の方針を支持する意見も根強く、本会議での投票が注目されていた。欧州議会は結局、7月6日の本会議で委任規則案に対する反対決議を否決し、委任規則案を実質的に承認(2022年7月8日付ビジネス短信参照)。EU理事会も期限までに不承認の手続きを取らなかったことから、委任規則案は8月4日に施行され、2023年1月1日から適用が開始されることとなった(2022年7月14日付ビジネス短信参照)。これにより、タクソノミー規則で天然ガスと原子力による発電は一定の条件下で持続可能な経済活動との認定を受けたことで、サステナブル・ファイナンスとして、投資が活発化する可能性がある。
- 注1:
- 調査レポート「『欧州グリーン・ディール』の 最新動向(第1回) 政策パッケージ「Fit for 55」の 概要と気候・エネルギー目標(1.18MB)」(2021年12月)参照。
- 注2:
- 調査レポート「EUサステナブル・ファイナンス最新動向‐タクソノミー規則を中心に」(2022年6月)参照。
- 執筆者紹介
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ジェトロ・ブリュッセル事務所
吉沼 啓介(よしぬま けいすけ) - 2020年、ジェトロ入構。