特集:欧州に学ぶ、スタートアップの今 ウェブサミットを追い風に、技術開発拠点として注目(ポルトガル)
2018年6月15日
欧州債務危機後の厳しい雇用状況を背景に、ポルトガルのスタートアップを取り巻く環境は発展した。2016年からウェブサミットの開催地がダブリンからリスボンに移ったことを追い風に、政府もスタートアップ支援プログラムを整備。外資系企業のデジタル開発拠点設置や、コワーキングスペースの建設も相次ぎ、ポルトガルはスタートアップや技術開発拠点として注目を集めている。
欧州債務危機後、スタートアップエコシステムが発展
ポルトガルのスタートアップエコシステム(起業・事業推進環境)は2000年代後半から発展し、ポルトガル投資貿易振興庁(AICEP)によると、インキュベーター(注1)数は現在90社に上る。投資プラットフォームサービスのグストによると、2016年にポルトガルでアクセラレーション(注2)を受けたスタートアップは180社と欧州で5番目に多く、アクセラレーター上位20社(支援企業数ベース)の中に、ポルトガルからベータ・アイ(Beta-i)とファブリカ・デ・スタートアップスの2社が選ばれるなど確実に成長を遂げている。しかし、ベンチャー・キャピタル大手のアトミコはポルトガルのエコシステムは他国と比べまだ発展途上だとしている。同社の報告書「欧州テック産業の現状2017」(2017年11月30日)によると、ポルトガルはテック関連分野で働く労働者人口の増加率が前年比2.7%増と欧州で10番目を記録したものの、デベロッパー(ソフトウエア開発者など)数は欧州・トルコ・ウクライナで21位、人口1人あたりの資本投資額では欧州13位にとどまった。 欧州のスタートアップ業界団体によって作成された報告書「欧州スタートアップモニター2016年版」(2016年11月22日)によると、企業ステージごとのポルトガルのスタートアップの分布はスタートアップステージ(注3)が56.6%と最大の割合を占め、成長ステージが22.1%、シードステージが18.6%と続き、欧州全体の傾向とほぼ一致している。6割以上のスタートアップがB2Bを中心に事業展開しており、これまでに獲得した投資額は2万5,000ユーロ以下が39.0%と最多で、5~15万ユーロが19.5%、2万5,000~5万ユーロが14.6%と続く。ポルトガルからはユニコーン企業(注4)はまだ生まれていない。
スタートアップエコシステム発展の背景には欧州債務危機後の厳しい雇用状況がある。ポルトガルでは欧州債務危機後、失業率が上昇。ピーク時(2013年第1四半期)には、17.3%に達し、高学歴の若者も失業に追い込まれた。彼らが取り得る選択肢は「国外への移民、失業、起業」のいずれかだったという。こうした状況下で、自ら雇用を生み出す起業文化が徐々に根付いていった。
ポルトガルのエコシステムの魅力は、西欧の他国と比べ物価が安く、晴天・温暖な気候が1年を通して多いことだ。物価は上昇傾向にあるものの、住宅費や外食費はEU平均の75%程度と低い水準にある。エコシステムの大きさは首都リスボンが最大だ。第2の都市である北部のポルトとリスボンの違いについて、スタートアップ・ポルトガルのマリア・ミゲル・フェレイラ氏は「製造業に強みがあるため、ハードウエアスタートアップはポルトを拠点に選ぶ傾向がある」と言う。市場規模が小さいポルトガルならではの特徴として、「若い世代のポルトガル人は英語を話し、アーリーアダプター志向(新しい商品・サービスへの受容性が高いこと)だ。そのため、英語のままリリースでき、市場規模の小ささを生かして特にB2Cのテストマーケットとして活用されるケースがある」と紹介した。
政府はスタートアップ支援の幅広いプログラムを用意
ポルトガル政府は2016年3月、15の施策から成る国家戦略「スタートアップ・ポルトガル」を発表した。ウェブサミットが2016年からリスボンで開催されることを追い風に、政府が本格的にスタートアップ支援に乗り出した形だ。スタートアップのアイデア段階から、国際化・規模拡大までを支援するプログラムをそろえており、2016年以降もプログラムが追加・改善されている。プログラム実施にあたっては、政府系のベンチャーキャピタル(VC)であるポルトガルベンチャーと、政府から独立した非営利機関スタートアップ・ポルトガルが中心的な役割を果たす。現在実施されているプログラムのうち、代表的なものは表のとおり。
スタートアップバウチャー | 18~35歳の起業家によるアイデア段階のプロジェクトが対象。12カ月間にわたり毎月約700ユーロの資金援助や、専門家からコンサルテーションなどが受けられる。 |
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インキュベーションバウチャー | IAPMEI認定のインキュベーターから関心を得ている創業1年以内のスタートアップが対象。会社設立の初期経費をまかなうために最大5,000ユーロの資金援助が受けられるほか、経営やマーケティングに対する支援、法的アドバイス、知的財産権保護に関する支援などが受けられる。 |
スタートアップビザ |
2018年3月15日から申請受付開始。シェンゲン協定加盟国外からの起業家が対象。申請にあたって外国人起業家が満たすべき条件は、以下のとおり。なお、申請前にスタートアップビザプログラムの認定を受けた少なくとも一つのインキュベーターから、プロジェクトについてポジティブなフィードバックを得ている必要がある。
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ソフトランディング・ビジネス開発プログラム | ポルトガルで本格的にビジネスをしたい海外のスタートアップを対象に、現地事情の解説や、法的支援、雇用支援などを行う2カ月半~3カ月のプログラム。海外のパートナー機関と協働し、その国のスタートアップを受け入れる形で実施。これまでインドとの間で実施済み、ブラジルとも実施予定。 |
- 注:
- スタートアップバウチャー、インキュベーションバウチャーはポルトガルに拠点を持つ外国企業も対象。
- 出所:
- 中小企業・技術革新支援局(IAPMEI)ウェブサイト、スタートアップ・ポルトガルへのヒアリングを基に作成
プログラムの初年度の2017年に、スタートアップバウチャーの活用が承認されたプロジェクトは245件、起業家は409人、インキュベーションバウチャーの活用が承認されたスタートアップは93社だ。
このほか、スタートアップに投資する個人への税優遇措置、政府とエンジェル投資家(注5)・VCとの協調投資ファンド設立、ポルトガル国内に拠点を持たない海外投資家がポルトガルのスタートアップに対して政府と協調融資するためのファンドの設立、中国・マカオなどの海外の都市のパートナー機関との交換プログラム実施などの取り組みを行っている。
相次ぐデジタル開発拠点設置、コワーキングスペース建設
外資系企業がデジタル開発拠点を設置する動きも相次いでいる。ダイムラーはメルセデスベンツブランドの拠点として、2017年5月にリスボンに同社初の「デジタルデリバリー・ハブ」を開設した。従来の高級自動車メーカーから高級モビリティーサービスプロバイダーへと転換することを目指すための技術開発拠点で、ソフトウエア開発、アプリプログラミング、ビッグデータなどの分野の専門家を2018年末までに125人を雇用する予定だ。ドイツのオンライン・ファッションプラットフォーム企業ザランドゥは2017年11月、ダブリン、ヘルシンキに続くドイツ国外3拠点目のテクノロジーハブをリスボンに2018年に開設すると発表。リスボンの拠点では、同社のオンラインストアにおける顧客のデジタル経験向上のための開発に注力する。初年度中にソフトウエアエンジニアやプロダクトマネジャー、UXデザイナーなど50人以上を雇用する予定だ。グーグルはリスボン圏の都市オエイラスに EMEA(欧州、中東アフリカ)を管轄する500人規模のサービスセンターを開設すると2018年1月に公表。フォルクスワーゲンは、2018年後半に、300人規模のソフトウエア開発センターをリスボンに開設予定だ。
大企業とスタートアップの協業も進みつつある。ポルトガルのあるスタートアップ関係者は、「個人的な感触としては、大企業とスタートアップの協業が本格的に活発になってきたのはここ1年半~2年のことだ。それまでは大企業がイノベーションに関する取り組みをスタートアップと行っていることを対外的に示したいという企業宣伝の意味合いが強かったが、大企業は実際にスタートアップとの協業が自社に多くの価値をもたらし得ると理解し始めている」と語った。
現在、リスボンでは大規模なコワーキングスペース(注6)の建設が進んでいる。リスボン市と投資誘致機関インベスト・リスボア、リスボン市のインキュベーターのスタートアップ・リスボアが中心となって、25の建物からなる3万5,000平方メートルの土地の再開発プロジェクトとして「ベアト・クリエーティブハブ」の建設が進められている。かつて軍隊向けの食品工場だった地区を、大企業からスタートアップまでさまざまな産業の革新的な企業が集まるイノベーションのハブにする計画だ。ベルリン発の「ファクトリー」は、このプロジェクトの一部として、ベルリン外で初めて1万1,000平方メートルのコワーキングスペース開設を決定。ファクトリーのコワーキングスペースは、2018年中に完成する見込みだ。なお、ロンドン発の「セカンドホーム」もロンドン外で初めてコワーキングスペースを開設したのがリスボンだった。2019年までに現在の拠点の5倍ほどの大きさの2拠点目をリスボンに開設する予定だ。
6万人以上が訪れるウェブサミット
スタートアップ関連のポルトガル最大のイベントは、「ウェブサミット 」だ。2009年にアイルランドのダブリンで初めて開催され、2016年からはリスボンに場所を移して開催。2021年までリスボンでの開催が決定している。2017年は、170カ国以上から約6万人が訪れ、約1,400人の投資家が参加した。会期中のカンファレンスにはネットフリックス、インスタグラム、ツイッター、ウーバーの創業者らを始めとする1,200人以上の講演者が登壇した。事前スクリーニングを経た2,000社以上のスタートアップが出展、さらにパートナー企業としてフェイスブック、マイクロソフト、グーグル、アマゾンなどの大手IT企業から、BMW、サムソンなどの大手メーカーまで幅広い産業の大企業が出展した。ダイムラー(メルセデスベンツブランド)がスポンサーとなった200社のスタートアップによるピッチ大会(注7)では、2015年創業のフランスの医薬品用小規模冷蔵装置製造のライフインア(Lifeina)が優勝し賞金5万ユーロを獲得した。なお、2014年の大会で優勝した、2014年創業のポルトガルの自動コードレビュー(ソースコードの検査)プラットフォームのコーダシー(codacy)は、2017年8月には510万ドルの投資を受けるなど、ポルトガルを代表するスタートアップの一つに成長している。2018年のウェブサミットは11月5~8日に開催予定だ。
アクセラレーターのベータ・アイが主催する「リスボン投資サミット 」は、スタートアップが投資家とつながりやすい規模のイベントだ。2017年は750社以上のスタートアップが参加し、200人以上の投資家、400社以上の大企業が集まった。スタートアップと投資家の出会いの場であると同時に、起業家や投資家による講演を始めとするサイドイベントやスタートアップによるピッチ大会も開催される。ベータ・アイのコンテンツ・コミュニティーマネジャーのカロリーナ・サントス氏によると、スタートアップからは2017年の投資サミットで出会った投資家から投資を受けたとの連絡が3月頃から入ってきており、投資が決まるのは1年ほどかかるケースが多いという。2018年は6月6~7日に開催された。
「リスボンチャレンジ 」は、ベータ・アイが年2回開催するアクセラレータープログラムだ。10社のスタートアップを選抜し、専門家からのアドバイスを受けつつ10週間にわたり集中的に事業開発を行う。ベータ・アイはスタートアップの持ち分1.5%を得る対価として、1万ユーロを提供する。ポルトガルを代表するスタートアップである学生向け宿泊施設検索サイト運営のユニプレイス(uniplace)や、人口知能(AI)とクラウドソーシングを掛け合わせたオンライン翻訳サービスのアンバベル(unbabel)も、リスボンチャレンジを活用した。
AIを活用したチャットボット(注8)プラットフォームを提供するバイザー・ドットAI(visor.ai)はリスボンチャレンジを含む、ベータ・アイのアクセラレータープログラムの三つに参加、ポルトガル政府のインキュベーションバウチャーも活用した。2017年6月創業で、現在成長ステージにある。事業開発担当ギアンルカ・ペレイラ氏は、「当社はB2B事業のため、他者の支援がないと成長するのが難しかった。アクセラレータープログラムに参加したことで、大企業に向けて自社の技術を売り込むことができ、顧客の獲得につながった」と評価する。現在、リスボン市役所や大手ビールメーカーのハイネケン、ポルトガルの主要な通信会社や保険会社を顧客に持ち、質問に自動で答えるカスタマーサポートや、購入品のレシートを同社のチャットボットで読み取り景品を提供する販促キャンペーンに活用される。
「フリーエレクトロンズ 」は、電力・エネルギー関連の有望なアイデアや技術を持つスタートアップを育成・発掘する世界初のアクセラレータープログラムだ。スタートアップは東京電力を含む世界の主要な電力・エネルギー企業8社との実証実験などを通して、自社の製品・サービスを提供する機会を得ることができる。2017年は450社の中から選ばれた12社のスタートアップと8社の電力・エネルギー企業の間で約200万ドル相当の契約が締結された。東京電力は、2017年に最優秀賞を受賞したポルトガルと米国のスタートアップ企業とそれぞれ協業の検討を進めている。本プログラムは、2018年はベータ・アイによって運営される。
- 注1:
- 起業間もないスタートアップに対し起業と成長を支援する機関。
- 注2:
- 企業の活動の成長促進をするための資金や専門コンサルティングなどの支援を行う機関。
- 注3:
- スタートアップステージは、会社設立後、事業が軌道に乗るまでの時期。成長ステージは事業が軌道に乗り始めた時期。シードステージは、ビジネスモデルやコンセプトはあるが製品やサービス化はできていない準備段階。
- 注4:
- 企業価値10億ドル(約1120億円)以上の未上場企業。
- 注5:
- 起業して間もない小さな会社に対して資金を提供する、個人の投資家。
- 注6:
- オフィス機能やミーティング機能がある共用施設。
- 注7:
- 投資家などを対象とした(短い)プレゼンテーション。
- 注8:
- 「チャット」と「ロボット」を組み合わせた言葉で、メッセージプラットフォーム内で自動で質問に回答するプログラムのこと。
- 執筆者紹介
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ジェトロ海外調査部 欧州ロシアCIS課
深谷 薫(ふかや かおる) - 2015年4月、ジェトロ入構。同月より現職。
- 執筆者紹介
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ジェトロ・パリ事務所(在リスボン)
小野 恵美(おの えみ) - 2007年よりジェトロ・パリ事務所コレスポンデント(在リスボン)