特集:アジアのサプライチェーンをめぐる事業環境米中摩擦は一時的に恩恵(マレーシア)
コロナを受けた戦略転換(2)
2022年12月7日
米中間の摩擦激化は、マレーシアの貿易投資にも大きな影響を及ぼした。さらに、慢性的な労働力の不足や中国のゼロコロナ政策といった、その他の外的要因も重なる。同時期に複合的に生じるリスクに対し、新型コロナ禍で培った教訓も生かしながら、持続可能な供給網を構築することが求められている。
米中間の技術覇権争いは貿易投資の増大に寄与、長期では成長リスクに
米中摩擦などの地政学リスクや自然災害への対応を要する中、中長期的なサプライチェーン再構築の観点から、他国からの生産移管や生産増強などを目指す動きもある。マレーシアは現時点では、前述の観点で一部恩恵を受けている国の一つだ。例えば、マレーシア中国商工会議所社会経済研究センター(SERC)のリー・ヘン・ギエ事務局長は、マレーシアは、米中貿易摩擦による貿易転換による恩恵を既に受けている、と指摘。「中国・米国ともに、投資家や多国籍企業は、リスク分散の必要性を学んだ。両国の地政学的分断は今後も続く」と見通す。
マレーシアの対内直接投資額は、これまでのピークであった2016年を上回り、2021年には過去最高を記録した。特に2019年以降の流入額の増加、とりわけシンガポール、オランダ、米国による投資増が足元でも顕著だ(図1参照)。サンウェイ大学のヤー・キム・レン経済学博士も、米中間の緊張の高まりによるリスク回避を目的として、マレーシアへの産業移転が進展する可能性を指摘している。特に半導体、電気通信、テクノロジー産業といった戦略分野は、投資転換の主な受益産業であるという。実際の投資案件でみても、欧米企業による高付加価値製品への資本投入が相次いでおり、複数の案件で2023~2024年ごろに稼働する見込みだ(表参照)。
発表 時期 |
企業名 |
国・ 地域 |
投資の概要 | 投資州 |
投資額 (100万ドル) |
創出雇用者数(人) |
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2021年12月 | インテル | 米国 | 現地子会社を通じ、半導体チップパッケージ工程およびテストを行う施設を新設。生産開始は2024年を見込む。 | ペナン | 7,000 | 3,000 |
2022年2月 | インフィニオンテクノロジーズ | ドイツ | ワイドハンドギャップ・パワー半導体の全工程生産能力増強のため、既存工場の製造棟を新設。2024年後半の出荷開始を見込む。 | ケダ | 2,200 | 900 |
2021年6月 | AT&S | オーストリア | 東南アジア初の製造拠点として、高性能プリント基板と集積回路を生産する新工場を建設。2024年の生産開始を予定。R&D(研究開発)も推進。 | ケダ | 2,066 | 5,000 |
2020年6月 | ボッシュ | ドイツ | 半導体試験を行う施設を新設。生産開始は2023年を見込む。 | ペナン | 346 | 951 |
2021年10月 | インフィニオンテクノロジーズ | ドイツ | 炭化ケイ素と窒化ガリウムエピタキシーを生産する工場を新設。 | ケダ | 346 | 951 |
2021年12月 | ロームワコー | 日本 | アナログLSIやトランジスタの需要増に伴い、生産能力を増強するため設備を新設。 2023年に生産開始を予定。 | クランタン | 346 | 951 |
2021年12月 | ネクスペリア | オランダ | 建屋を新設、チップの生産能力増強やパワー半導体需要に応える。2026年までにマレーシアでの建物、設備、自動化に16億リンギの追加投資を予定。 | ネグリセンビラン | 279 | 700 |
2020年6月 | エニクス | スイス | 高度に自動化した大容量製造施設を新設。2021年前半に操業開始。 | ジョホール | 191 | 626 |
2021年11月 | amsオスラム | ドイツ | LEDおよびマイクロLED生産設備を新設。 | ケダ | 191 | 626 |
2021年6月 | サムスンSDI | 韓国 | シリンダー型バッテリーの生産能力を拡大するため、既存工場の製造棟を拡大。 | ネグリセンビラン | 170 | 928 |
2021年9月 | 太陽誘電 | 日本 | 積層セラミックコンデンサー(MLCC)を生産する新工場を建設。2023年に生産開始を予定。 | サラワク | 162 | 2,000 |
2022年3月 | TTMテクノロジーズ | 米国 | プリント基板(PCB)を生産する新工場を建設。2023年後半に試験生産を開始、2024年から本格稼働を目指す。 | ペナン | 130 | 709 |
2022年4月 | フェローテックホールディングス | 日本 | 金属加工、ロボット組み立て、石英・セラミックス加工製造、部品洗浄を手掛ける製造拠点を新設。2023年に操業を開始予定。 | ケダ | 114 | 250 |
注:発表投資額1億ドル以上の案件のみ、金額の大きい順に表示。投資額と創出雇用者数はFinancial Timesのアルゴリズムに基づく推計値。
出所:“fDi Markets”(Financial Times)および各種報道から作成
米国は中国に対し、関税賦課を中心とした輸入制限から、技術移転の制限や中国のテクノロジー企業の活動抑制といった、戦略的競争による封じ込め戦略に軸足を移してきた。それを象徴するのが、2022年8月に半導体の国内生産を支援することを目的にバイデン大統領が署名した「CHIPSおよび科学法」(通称:CHIPSプラス法)だ(2022年8月26日付ビジネス短信参照)。この法の下で米国は、ハイエンド半導体の生産に対する補助金として527億ドルを確保する。ただし、補助対象の企業は受給日から10年間、中国やその他懸念のある外国において、半導体製造施設の拡張を伴う重大な取引に従事することができない。さらに米国は、人工知能チップやその製造に使う製造装置の、中国への出荷制限を検討している、とも報じられる。
マレーシア半導体産業協会(MSIA)は、米中対立激化によるサプライチェーン混乱リスクを懸念しつつも、CHIPSプラス法については、マレーシアには人材、インフラ、ビジネスに適した環境などの良好なエコシステムがあるため、むしろ投資機会をつかむチャンスになると評価。「より多くの企業が中国外への投資を求めるようになる。ベトナム、タイ、フィリピンなどと競争する必要があるが、好機になることは間違いない」と楽観的だ。
米中摩擦を背景とした投資の進展に加え、世界的な半導体需要の高まりは、マレーシアからの半導体輸出を結果として大きく伸ばすこととなった(図2参照)。新型コロナ禍でのデジタル財に対する巣ごもり需要を経て、世界的な経済活動の再開は、コンピュータや携帯デバイス、さらにはその製造に用いられる半導体への需要を拡大させた。5G(第5世代移動通信システム)ネットワークへの移行もこの動きを加速させる。さらに先述のCHIPSプラス法は、マレーシアの再輸出を活発化させると、マレーシア工業開発金融銀行(MIDF)リサーチのザフリ・ズルキフリ氏は予想する。2018年に米中摩擦が激化した際、マレーシアの再輸出が単年で4割増と膨らんだことを受けての分析だ。
このように、米中間の摩擦には現状では、マレーシアの貿易投資を拡大させる作用があると見る専門家は多い。他方で、懸念されるのが技術のデカップリングだ。先述のヤー教授は、「(米中の)いずれかを選択する結果、分断と混乱を招き、サプライチェーンの非効率化につながる。企業も、将来的な投資計画の再構成を余儀なくされる」「緊張が高まれば、中国と東南アジアとの貿易に下押し圧力がかかり、地域の成長見通しが鈍る可能性がある」と懸念する。
足元では中国の封じ込め政策、長期ではコスト上昇も重しに
米中の技術覇権争いのほかにも、在マレーシア企業のサプライチェーンに影響を与えうるリスクは数多く存在する。例えば、ウクライナ情勢の緊迫化とそれに起因する商品価格高騰、中国のゼロコロナ政策、といった諸リスクにも留意する必要がある。CGS-CIMBリサーチのエコノミスト、ナズミ・イドラス氏は、「(マレーシアにおいて)サプライチェーン上の主なリスク要因は、当初の新型コロナによるロックダウンから、ウクライナでの地政学的リスク高まりと中国のゼロコロナ政策へとシフトした」と指摘する(2022年7月21日エッジ紙)。
まず、中国のゼロコロナ政策について、ムーディーズ・アナリティクス上級エコノミストのカトリーナ・エル氏は、「中国はアジアや世界の製造業の要である分、サプライチェーンへの影響は特に大きい」とし、供給制約が2022年内に解消する可能性は極めて低い、と指摘する。中国の政策に対し、シンギュラー・アセット・マネジメント・マレーシアの創設者テオ・コクリン氏は、「直接のサプライヤーのみならず、バリューチェーン全体がショックにさらされているかどうかを評価し、代替供給先を発掘するとともに、十分な在庫を維持すべきだ」と助言する。また、バリューパートナーズ・アセット・マネジメント・マレーシアのファンドマネジャー、カマル・ムスタッザ氏も同様に、ゼロコロナ政策はサプライチェーン混乱を長引かせており、企業に供給元の再考を迫っていることから、「競争力を弱めることなくサプライチェーンを強靭(きょうじん)化するには、適量の在庫を保持し、デジタル化も推進しつつ、調達先が単一国に集中しないよう多様化することが肝要」と分析する。実際、中国のゼロコロナ政策の影響でマレーシアへの原材料調達が滞り、ASEAN域内での潜在調達先を探すための調査に乗り出す日本企業もいる。
次いで、ロシアによるウクライナ侵攻について、マレーシア戦略国際研究所(ISIS)のカルヴィン・チェン上席アナリストは、マレーシアの貿易に占める両国のシェアの小ささから直接的な影響はなく、むしろ調達先を両国から切り替える貿易転換によりマレーシアの相対的優位性が高まる、と指摘する(2022年9月6日付地域・分析レポート参照)。しかし、商品価格高騰や世界経済の成長率鈍化は、輸出主導型であるマレーシア経済にも間接的に及ぶことは間違いない、と警鐘を鳴らす。実際、マレーシア製造業者連盟(FMM)が9月に発表した2022年上半期の景況感調査によると、回答企業のうち74.8%がロシアによるウクライナ侵攻で「負の影響がある」と回答し、「全く影響がない」(17.8%)との回答を大きく上回った。「負の影響がある」企業のうち84.5%が、その具体的内容として「コスト増」、64.8%が「サプライチェーンの混乱(遅延や原材料供給のキャンセル)」と答えた。
国内に目を転じると、労働力不足が最大の課題だ。特に製造業においては、外国人労働者の新規雇用難や、ギグエコノミー業界への労働人口移動などを背景としたマレーシア人の離職率の高さなどから、引き続き労働力が不足している。経済活動回復に伴う需要増も相まって、生産や操業に必要な人員の確保が難しい状態が長期化した。外国人労働者については、2022年2月に約2年ぶりに新規雇用が再開されたが、年後半に入ってなお採用手続きは円滑とは言えない。内務省の2020年末のデータによれば、マレーシアにおける外国人労働者は148万人、うち製造業分野が35.7%と最大であり、外国人不足による打撃が特に大きいのが製造現場であることがうかがえる。
新型コロナを経て、サプライチェーン上のリスク管理は企業にとっての最重要課題として位置付けられている。重要部材の不足や需要の不安定性、労働力不足による生産能力の制限、国際物流の不透明性といった複合的なリスクにさらされた状態は続く。コロナ禍の教訓を生かし、持続可能な供給網を構築する戦略がかつてなく求められている。
コロナを受けた戦略転換
- 調達多様化や自動化が加速(マレーシア)
- 米中摩擦は一時的に恩恵(マレーシア)
- 執筆者紹介
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ジェトロ・クアラルンプール事務所
吾郷 伊都子(あごう いつこ) - 2006年、ジェトロ入構。経済分析部、海外調査部、公益社団法人日本経済研究センター出向、海外調査部国際経済課を経て、2021年9月から現職。共著『メイド・イン・チャイナへの欧米流対抗策』(ジェトロ)、共著『FTAガイドブック2014』(ジェトロ)、編著『FTAの基礎と実践-賢く活用するための手引き-』(白水社)など。