特集:世界経済を展望するキーワード持続可能性:環境・人権への配慮、影響把握、情報開示が肝
2021年9月24日
近年、世界全体で「持続可能な社会の実現」を目指す意識が高まり、企業活動のあり方にも大きな影響を及ぼすようになった。主要国・地域の政策策定のプロセスでも、貿易・投資などに関わる対外通商政策と、環境や人権、社会問題などの領域とが密接に連動して議論され、これらの領域がビジネスルールや課税に直結するケースが目立つようになった。国際ビジネスをめぐる課題は極めて広範化・複雑化している。
2020年以降、瞬く間に全世界に拡大した新型コロナウイルス感染症は、この潮流を一気に加速させる契機となった。いま、社会がビジネスに求める最も重要な役割と責任は、パンデミックがあらためて浮き彫りにしたグローバル社会の脆弱(ぜいじゃく)性を克服し、持続可能で強靭(きょうじん)な未来を築くことにある。
こうした社会の価値観の変化を受け、日本の産業界でも、コロナ以前の成長戦略の路線を見直し、新たな成長路線にかじを切る取り組みが始動している。経団連は2020年11月、ポスト・コロナの新たな時代を見据えた「。新成長戦略」を打ち出した。この中で「サステナブルな資本主義」を基本理念に掲げ、経済界が自らの事業活動を通じて、気候変動などの社会課題の解決にこれまで以上に迅速かつ積極的に取り組む責務があるとの意思を示している。
変わる企業価値と資金の流れ
国際社会では、金融資本市場を中心に、環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)に対する取り組みから企業価値を測り、投資判断を行う「ESG投資」など、持続可能な成長の実現への取り組みの積極性を投資の判断基準にする機運が高まっている。国際団体GSIA(Global Sustainable Investment Alliance)の報告によると、2020年の世界のESG投資残高は、2018年の30兆6,830億ドルから15.1%増加し、35兆3,010億ドルとなった。これは、世界の運用資産合計の36%に相当する(注1)。事業活動で、環境や社会への適切な対応と積極的な情報発信が競争優位をもたらす一方、それを怠れば資金調達などの面で不利な状況に置かれる環境が形成されつつある。
近年は、財務上のリターンと同時に、投資を通じて社会と環境にもたらすポジティブなインパクトを追求する「インパクト投資」への関心も急速に高まっており、そのインパクトを適切に評価する指標や基準づくりも進展している。
世界銀行グループの国際金融公社(IFC)は2019年4月、インパクト投資市場の新たなグローバルスタンダードとして、「インパクト投資の運用原則」を発表。2021年3月末時点で、世界31カ国、123の機関投資家が運用原則の署名機関となり、対象資産総額は約3,635億ドルに達している。さらに、IFCは2021年3月、インパクト投資の評価や報告に使用できる一連の主要指標として、「共通インパクト指標」(Joint Impact Indicators - JII)を公表している。
また、国連開発計画(UNDP)は、企業活動などが国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」の定める17のゴール達成にインパクト(効果)があるかどうかを評価する基準として、「SDGsインパクト基準」を策定した。SDGインパクトには「プライベートエクイティー(PE)ファンド向け基準」と「SDGs債向け基準」に加え、「事業者(エンタープライズ)向け基準」の3類があり、それぞれに「戦略」「マネジメントアプローチ」「透明性」「ガバナンス」という4つの基準が示される。
2021年9月現在、SDGインパクト基準に基づく認証制度(注2)はスタートしていないが、今後、SDGsの目的に沿う事業への投資機運を一層高める新たな枠組みとして注目される。
今日の企業には、その規模の大小を問わず、自社の活動が社会にもたらすインパクトを定量的・定性的に把握・評価し、株主や投資家、取引先、消費者などに積極的に発信していくことが求められる。また、それが市場における企業の競争力を大きく左右するカギとなりつつある。半面、たとえ本業で社会課題の解決に意欲的に取り組んでいても、その社会へのインパクトを適切に評価・発信できない場合、当該ビジネスの持続可能性の実現は困難となる。
グリーン成長実現へ向かう世界
持続可能な社会を目指す企業の取り組みの中でも、グローバル企業にとっての喫緊の課題は、カーボンニュートラル実現という政策目標への対応だ。とりわけ、新型コロナ以降の世界では、経済復興に取り組む多くの国・地域が気候変動対策を成長戦略の一部に位置付けている。パンデミックが持続可能なグリーン社会への移行の一大契機となったとも捉えることができる。日本を含めて「カーボンニュートラル」実現を宣言した国・地域の二酸化炭素(CO2)排出量が世界全体の排出量に占める割合は既に7割を超えている。
前出の経団連の「。新成長戦略」でも、主要な取り組みの柱として「2050年カーボンニュートラルの実現に向けて、わが国の取り組みへの内外からの理解と信頼を得ながら、政府と一体となって不退転の決意で取り組む」ことがうたわれている。
カーボンニュートラルを社会全体で実現していくためには、全ての経済主体による包括的な取り組みが欠かせない。これには、発電分野でのエネルギー転換に加え、産業部門(利用削減・効率化)、輸送部門(利用削減、電動化など)、建設部門(ビルや建物の省エネ・効率化)、さらには、家庭部門も含めた省エネルギーやエネルギー効率の向上などが含まれる。また、低コストの水素サプライチェーンやカーボンリサイクル技術など、革新的技術によるイノベーションも必要だ。制度面では、温室効果ガス(GHG)排出を抑制するルール・規制や税制などの枠組みに加え、産業界や家計での排出削減の取り組みを促す法制度やインセンティブの設計が不可欠となる。
国際的な枠組みの下で進展する情報開示と認証取得
カーボンニュートラルをはじめとする気候変動対策の推進が全世界で喫緊の課題となる中、金融資本市場でも、投資家や金融機関が企業に対し、気候変動対策の取り組み内容や関連情報の開示を求める動きが強まっている。併せて、企業の取り組みを一定の基準で評価し、認証を与える国際的な枠組みも始動している(表1参照)。
分類 | 名称 | 概要 | 参加企業・機関の規模 |
---|---|---|---|
情報開示 | CDP | 企業の情報公開や環境活動への取り組みを格付け、公表 | 9,600社以上が情報開示 |
情報開示 | TCFD | 気候変動対応の内容を財務報告などで開示することを推奨 | 2,300社以上が賛同を表明 |
GHG削減 | SBTイニシアチブ | パリ協定と科学的根拠に整合したGHG削減目標の設定を促す | 1,577社、SBT認定済み企業は796社 |
再生エネルギー利用 | RE100 | 2050年までに事業を100%再エネ電力で賄う目標を掲げる | 319社 |
EV移行推進 | EV100 | 2030年までのEV移⾏とインフラ整備などの普及を目指す取り組み | 110社 |
効率向上 | EP100 | エネルギー効率倍増などによるGHG排出削減を目指す取り組み | 128社 |
その他 |
We Mean Business(WMB) |
SBT、RE100、EV100、EP100など10種の取り組みを、連携する枠組み | 1,965社 |
注:CDP以外の参加企業・機関規模は、2021年7月時点。CDPを通じた情報開示企業数は、CDPの年次報告書(2021年4月発表)に基づく。
出所:環境省、各イニシアチブ年次報告書、HPなどを基に作成
英国に本部を置く国際的なNGOであるCDPは、CDP気候変動プログラムとして、世界の主要企業(時価総額ベース)に気候変動質問書を送付し、企業の情報公開や環境活動への取り組みを格付けし、公表している。このスコアはESG投資に関するデータとして機関投資家に活用されており、2020年には9,600社以上がCDPを通して情報を開示している。
G20財務相・中央銀行総裁などの意向を受け、金融安定理事会が設置した気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)は、企業に対して財務報告などでの気候変動対策の開示を推奨しており、2,300社以上が賛同の意を表明している。
また、SBT(Science Based Targets)は、パリ協定と科学的根拠に整合したかたちでGHG削減目標の設定を促す国際イニシアチブだ。2021年7月時点の参加企業数は1,577社、うち796社で目標設定が「妥当」と認められ、SBT認定済み企業となっている。SBT認定は上述のCDPの加点要素となるため、金融資本市場での資金調達に有利となる。
こうしたイニシアチブが普及し、情報公開や目標設定を進める企業が拡大すれば、自ら取り組みに着手していない企業の間でも、取引先からCO2排出量の算定や削減、情報開示を要請されるケースが増えていくことが想定される。
「ビジネスと人権」に関する国際的枠組み進展
もう1つ、近年の国際ビジネスで企業の持続可能な活動のために欠かせない要件となっているのが、人権への配慮だ。企業に対して人権関連の対応が強く求められるようになった背景には、人権尊重のための国際的な枠組みの進展や、欧州を中心とした法令に基づく義務的対応の必要性、対応を怠った場合のリスクの顕在化などが挙げられる。また、前出の気候変動対応と同様、投資家や消費者の間での関心や意識の高まりも、人権尊重の取り組みを後押しする。企業にとっては、デューディリジェンスをはじめとする適切な取り組みの実施と、取り組みに関する積極的な情報開示が市場での自社製品・サービスの競争力に少なからず影響を及ぼす環境が生まれている。
ビジネスと人権に関する国際的な枠組みでは、2011年に国連人権理事会が「ビジネスと人権に関する指導原則」を採択。同指導原則の成立を受け、OECDの「多国籍企業行動指針(649.64KB)」に人権に関する章が追加された(2011年、第5次改定)ほか、2015年9月にSDGsを定めた国連の2030アジェンダでも、同指導原則に従った民間企業の活動促進がうたわれた。また、持続可能なビジネス慣行のための企業向け指針であるILO「多国籍企業宣言」の2017年の改定では、同指導原則と足並みをそろえた取り組みの実施と各主体の役割が言及されている。
主要国・地域では、同指導原則にのっとったかたちで、ビジネスと人権に関する国別行動計画(NAP)の策定・導入が進む。2021年9月時点で欧州を中心とする27カ国で策定済みのNAPが公表されているほか、29カ国がNAPを策定中もしくは策定を正式に表明した段階にある(注3)。日本では2020年10月、2020~2025年の5年間を対象とするNAP(807KB)が定められた。これにより、サプライチェーンにおける人権尊重を促進する仕組みの整備に向け、本格的な取り組みが始動した。
広がるデューディリジェンス義務化の動き
欧州を中心とする主要国では、既に法制化を通じた人権尊重の義務化の動きが進展している。企業に対し、国内法令に基づく強制力を持って情報の開示や報告、適切なデューディリジェンスの実施などを求める国が広がる(表2参照)。
さらに、EUレベルでもデューディリジェンス義務化に向けた準備が進む。欧州委員会は2020年2月、「サプライチェーンを通じたデューディリジェンス要求に関する調査報告書」を公表。各加盟国での国内法化が必要なEUとしての「指令(Directive)」の法案が2021年中に提案される見通しで、その内容に関心が集まる。欧州議会は2021年3月、同指令の対象を大企業に限定しないことや、EU域内で事業を行う全ての企業を対象に含めること、対象範囲を販売先も含めた広範な「バリューチェーン」とすることなどを独自に提案している。
国・地域 | 法規制の名称(仮訳) | 成立時期 | 内容 |
---|---|---|---|
EU | 紛争鉱物資源規則 |
2017年6月施行 2021年1月運用開始 |
EU事業者に対し指定地域から調達した鉱物が紛争や人権侵害を助長していないか確認を義務づけ |
非財務情報開示指令 |
2014年12月施行 2021年4月改正案発表 |
一定規模以上の企業などに、環境、社会、人権の尊重など非財務情報の開示を、2018年より義務化。 改正案として「企業持続可能性指令案」を発表 |
|
英国 | 2015年現代奴隷化法 |
2015年7月施行 (以降、随時レビュー) |
年間売り上げが一定以上の営利団体・企業に、年次のデューディリジェンスの手法などの声明公表を義務化 |
ドイツ | デューディリジェンス法案 | 2023年1月施行予定 | サプライチェーンの全体で人権と環境に対する注意義務(リスク把握、予防、是正、報告など)を負う |
オランダ | 児童労働注意義務法 | 2022年1月施行予定 | 対象企業は施行後6カ月以内に、全サプライチェーンの児童労働状況を調査し完了の声明文を提出 |
責任ある持続可能な国際事業活動に関する法案 |
2021年3月国会提出 2024年1月施行目標 |
企業に、より広範な人権への悪影響(不当労働、差別など)に関し、デューディリジェンスを義務づけ | |
フランス | 親会社および発注企業の注意義務に関する法律 | 2017年3月施行 | 取引のあるサプライヤーなどにおけるリスク把握、定期的評価、対応などの実施計画作成と開示を義務化 |
米国 | カリフォルニア州サプライチェーン透明法 | 2012年1月施行 | 対象事業者に、リスク評価、監査、法令順守証明、社内基準・手続き、社内教育の情報開示を義務化 |
出所:ジェトロ「サプライチェーンと人権に関する政策と企業への適用・対応事例」(2021年6月)、および各国・地域政府公式発表などに基づき作成
サプライチェーン上のリスク把握と情報開示の準備を
指令や規則によるデューディリジェンスの義務化は、施行された国・地域に所在する企業だけではなく、バリューチェーン上で直接的、間接的に関わる世界中の企業に広く影響を及ぼすことになる。国際ビジネスに携わる企業は、調達先や販売先なども含めた取引関係国・地域の法令や政策の最新動向に留意しつつ、サプライチェーンでの人権侵害リスクを調査・把握し、必要に応じて関係者との対話を行うことや、取り組み状況を開示・公表できるよう、備えておくことが重要となる。企業が適切なデューディリジェンスに取り組む上では、OECDが日本語でも公開している「責任ある企業行動のためのOECDデュー・ディリジェンス・ガイダンス」(2.82MB)なども参考になる。
一方、今日のサプライチェーンは、国をまたぎ、重層的かつ複雑に構築されており、間接的な取引先のリスクの特定や評価が難しい実態がある。加えて、2020年以降の新型コロナウイルス感染拡大に伴うサプライチェーンの一時的な混乱は新たなリスクを発生させ、企業のデューディリジェンスの実施プロセスをさらに困難にしている。
企業が直面するこれらの課題を受け、UNDPでは、人権デュー・ディリジェンスを適切に実施するための簡易チェックリストを公表している。企業が直面するリスクを適切に特定し、評価するための支援ツールとなっている。こうしたツールの活用により、国際的な取り組みや先行企業と自社との間の取り組みのギャップや盲点を把握することは、適切なデューディリジェンス実施のための最初のステップとして有効だろう。
- 注1:
- 世界の運用資産合計は、欧州、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、日本のデータに基づく。なお、欧州とオーストラリアは持続可能な投資の定義に⼤幅な変更が加えられたため、過去との⽐較や地域間との比較は正確には行うことができない。
- 注2:
- 認証の対象となる企業や債券、PEファンドがそれぞれの基準に合致するか、認証を与える仕組みが取られる。実際の認証プロセスはUNDPではなく第三者認証機関によって行われる。
- 注3:
- NAP公表済みの27カ国には、人権に関する行動計画に「ビジネスと人権」関連の章を設ける2カ国を含む。国連人権高等弁務官事務所ウェブサイトで公開。
- 執筆者紹介
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ジェトロ海外調査部国際経済課長
伊藤 博敏(いとう ひろとし) - 1998年、ジェトロ入構。ジェトロ・ニューデリー事務所、ジェトロ・バンコク事務所、企画部海外地域戦略主幹・東南アジアなどを経て現職。主な著書:『タイ・プラスワンの企業戦略』(共著、勁草書房)、『アジア主要国のビジネス環境比較』『アジア新興国のビジネス環境比較』(編著、ジェトロ)、『インドVS中国:二大新興国の実力比較』(共著、日本経済新聞出版社)、『インド成長ビジネス地図』(共著、日本経済新聞出版社)、『インド税務ガイド:間接税のすべてがわかる』(単著、ジェトロ)など。