メキシコでグリーン水素開発プロジェクト始動
豊富な天然資源を活用、需給両面でポテンシャル

2021年7月26日

メキシコで、グリーン水素の開発に注目が集まっている。既に2件の計画が動き出しており、合計13億5,000万ドルの投資が見込まれている。太陽光や風力などの自然資源に恵まれたメキシコは、低いコストでグリーン水素を生産できる拠点としてみられているほか、北米の低コスト製造拠点として自動車産業など多くの多国籍企業が工場を構えるため、クリーンな産業用熱源としての水素の潜在需要が大きく、市場としての魅力もある。2020年末にはメキシコ水素協会(AMH)が設立され、日本企業も含む国内外の約50社が加盟し、メキシコの水素産業発展に向け、政府と連携した国家戦略構築などを計画している。ジェトロ・メキシコ事務所がAMHのイスラエル・ウルタド会長に実施したインタビューを中心に、メキシコにおけるグリーン水素の可能性について紹介する。

豊富な太陽光や風力資源と戦略的立地がメキシコの魅力

AMHは2020年12月、メキシコの水素産業発展に関心を持つ企業が集まって設立された。主に、メキシコにおけるグリーン水素(注1)の開発プロジェクトを推進しているが、ブルー水素(注2)の開発と利用も視野に入れている。参加しているのは2021年6月末時点で、ドイツのシーメンスや日本の三菱パワーなど発電技術や水の電気分解などの技術を有する企業、英国のリンデ(Linde)やフランスのエア・リキード(Air Liquide)、メキシコのインフラ(INFRA)など窒素、酸素、水素などの産業ガスを生産・供給する企業、フランスのエンジーやスペインのエナガスなど将来的な天然ガスと水素のブレンドを視野に入れた天然ガス配給会社、再生可能エネルギー発電を行うスペインのイベルドーラや日本の三井物産、三菱商事をはじめとする発電事業者など約50社に及ぶ。日本企業としてはほかに、日立製作所とスイスのABBの合弁事業の日立ABBパワーグリッドが参加している。

AMH会長のイスラエル・ウルタド氏は、メキシコ石油公社PEMEXや電力庁(CFE)、エネルギー省で要職に就き、2006~2011年にエネルギー規制委員会(CRE)委員を務めた経歴を持ち、2014~2020年はメキシコ太陽エネルギー協会(Asolmex)事務局長を務めていた。ウルタド会長によると、グリーン水素製造拠点としてのメキシコの魅力としては主に、(1)恵まれた太陽光や風力資源による生産コストの低さ、(2)北米における戦略的製造拠点として産業用ガス需要の大きさ、(3)米国の南に隣接し、天然ガスのパイプライン網も整備されていることから、米国輸出向けの生産拠点としての活用可能性がある。

(1)について、メキシコは国土の85%以上が太陽光発電に向いており、日照時間が長く、日射量も多い土地だ。世界銀行が発表するグローバル・ソーラー・アトラス外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますによると、国土の大半が全天日射量は1平方メートル(平方メートル)当たり5.4キロワット(kW)を超えており、年間の全天日射量合計が同1,972キロワット時(kWh)を超えている土地だ。バハカリフォルニア半島、ソノラ州、チワワ州、ドゥランゴ州などの北西部では、1平方メートル当たり日射量が6.2kW、年間2,264kWhを超える場所も多く、日本で最も日射量が多い山梨県よりも40%以上多い。風力発電のポテンシャルもある。世界銀行が発表するグローバル・ウィンド・アトラス外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますによると、オアハカ州テワンテペック地峡のように平均風速が10メートルを超える土地が幾つか存在する。エンリケ・ペニャ・ニエト前政権下で進められたエネルギー改革によって電力卸売市場(MEM)が創設され、再生可能エネルギーを活用した長期電力競売が実施されたことにより、メキシコの再生可能エネルギー発電能力は大きく向上した(2017年12月25日付地域・分析レポート参照)。メキシコの2021年4月末時点の風力発電能力は7,691(メガワット)MWで、2013年末比で約4.8倍に拡大している。同様に、太陽光発電能力は国家電力系統(SEN)に接続している発電設備だけでも7,026MWに達しており、2013年末比151.7倍に拡大した(表参照)。太陽光発電は分散型電源としても利用されており、Asolmexによると、SENに接続されていない発電能力も2020年末時点で900MWを超える。ウルタドAMH会長によると、マッキンゼー・アンド・カンパニーが実施した調査では、メキシコの水素生産コストは他国平均と比べると65%低いという。また、メキシコは米国で生産される安価な天然ガス(シェールガス)をパイプラインで輸入できるため、天然ガスの調達コストが低い。水素製造過程で発生する二酸化炭素を回収することができれば、ブルー水素の生産拠点としてもポテンシャルがある。

表:メキシコにおける発電能力(系統に接続しない分散型電源を除く)の推移(単位:MW,%)(△はマイナス値、-は値なし)
発電技術 2013年 2015年 2017年 2019年 2021年 構成比 伸び率
天然ガスCC 22,830 24,043 25,340 30,402 35,060 39.2 53.6
石油火力 13,519 12,711 12,655 11,831 11,809 13.2 △ 12.6
石炭火力 5,378 5,378 5,463 5,463 5,463 6.1 1.6
ターボガス 3,418 4,904 2,960 2,960 3,781 4.2 10.6
内燃エンジン 1,146 1,163 739 891 734 0.8 △ 36.0
化石燃料合計 48,411 48,778 47,157 51,547 56,847 63.5 17.4
水力 11,679 12,489 12,612 12,612 12,614 14.1 8.0
風力 1,611 2,805 3,898 6,050 7,691 8.6 377.3
太陽光 46 56 171 3,646 7,026 7.9 15,069.0
地熱 823 926 899 899 976 1.1 18.5
バイオマス 154 760 374 375 408 0.5 165.7
再生可能エネルギー合計 14,160 16,406 17,954 23,582 28,714 32.1 102.8
高効率コジェネ N.A. 583 1,322 1,710 2,309 2.6
原子力 1,400 1,608 1,608 1,608 1,608 1.8 14.9
全発電能力合計 64,131 68,044 68,050 78,447 89,479 100.0 39.5

注:2021年は4月末時点、その他は年末時点。構成比は2021年、伸び率は2021年の2013年比。
出所:エネルギー省「国家電力系統開発計画」(PRODESEN)から作成

(2)については、米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)を活用した対米輸出製造拠点として、自動車産業や医療機器製造業、航空機部品製造業、電子機器・白物家電製造業、鉄鋼産業、セメントや陶器など窯業の工場が多く集積しており、熱源としての産業用ガスの大きな需要が存在する。

(3)では、米国との間でガスのパイプライン網が整備されているため、現時点ではもっぱら天然ガス輸入に用いているが、将来的にはこれらのパイプラインを通じて米国市場に水素を輸出する拠点としての可能性もある。また、メキシコは太平洋と大西洋の両洋に面しているため、アジアや欧州、南米に向けた液体水素の輸出拠点としても機能する。

グリーン・アンモニアへの転換計画と工業団地向けグリーン水素生産計画が始動

現在、メキシコ国内で2件の具体的なグリーン水素生産計画が始動している。AMHのウルタド会長によると、この2件については、既に資金調達のめどが立っているとのことだ。両プロジェクトの合計で投資額は13億5,000万ドルに及ぶ。

1件は、ドゥランゴ州で進められているタラフェルト-メキシコ・グリーン・ハイドロジェン・プロジェクトだ。メキシコの肥料製造会社タラ・ニトロ・フェルティリサンテス・メヒカーノス社(Tarafert)社が外国投資家グループの出資を得て進めているプロジェクトで、ドゥランゴ州北部のレルド市で天然ガスからアンモニアを製造する工程を、太陽光発電による電気分解でグリーン水素とグリーン・アンモニアを製造する工程に転換する。

もう1件は、スペインのダマ・エナジー(Dhamma Energy)が計画している太陽光発電プロジェクトだ。グアナファト州サンルイス・デ・ラパス市に42MWの大規模ソーラー発電パークを建設し、そのうちの65%をグリーン水素生産に用いる。残りの20%はSENに接続して電力として販売し、15%は水素生産プロセスのバックアップとしてバッテリーに蓄電する。生産した水素はガス・パイプラインに注入して運搬し、産業用ガスとして工業団地に供給する計画だ。

AMLO政権下の法改正の影響は小さいが、将来的な法の枠組み整備が必要

エンリケ・ペニャ・ニエト前政権下で積極的に再生可能エネルギー発電を推進してきたメキシコだが、2018年12月にアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール(AMLO)現政権が発足して以来、その政策に変化がみられる。AMLO大統領は、エネルギー分野で国営企業の活動を最優先し、前政権下で進めてきた民間資本の活用には消極的だ。前政権下で3回行われた再生可能エネルギー民間発電事業者からの長期電力競売は中止となり、国営電力会社であるCFEが国内の発電能力の54%以上を確保することを目標に掲げ、民間事業者の操業を妨げるような数々の政策を打ち出している(2021年7月2日付地域・分析レポート参照)。AMLO政権は2021年2月1日、電力事業に関する許認可の付与に際し、民間発電事業者にとって不利な条件を設定できる電力産業法の改正法案を国会に提出した(2021年2月3日付ビジネス短信参照)。同改正案は、連立与党の賛成多数により国会を通過し、3月9日に公布、翌日施行となったが、多数の民間事業者からの庇護訴訟「アンパロ」(注3)の提訴により、3月10日に裁判所が合憲性を判断するまでの差し止め措置が確定している。

電力産業法の改正は、国家エネルギー管理センター(CENACE)による発電所への送電指示において、民間発電事業者よりもCFEの発電所を優先することを可能とするもので、民間事業者にとっては、発電事業の継続可能性に対する大きな懸念を生み出している。再生可能エネルギー発電事業者のSENを通じた売電事業には、今回の法改正が大きな影響を及ぼすが、グリーン水素の生産に必要な電気分解のためのオンサイト発電事業は妨げられない。AMLO政権はPEMEXの炭化水素市場における優位性も確保するため、炭化水素法の改正を行い、5月5日に施行した(2021年5月6日付ビジネス短信参照)。この改正は、炭化水素資源の中流(精製)、下流(輸送・流通・販売、輸出入)での許認可付与に際し、政府の意向をより反映することを可能にするものだが、水素は炭化水素とは見なされないため、この改正の影響も受けない。従って、再生可能エネルギーを活用して水素を製造し、販売するビジネスでは、AMLO政権下で進められている一連の法改正の影響が小さいと考えられる。ただし、水素を製造するためとはいえ、新たに発電事業者として0.5MW以上の発電能力を持つ発電所を建設する場合は、エネルギー規制委員会(CRE)から発電事業者としての許認可を得る必要があり、この許認可付与が現政権の意向により、なかなかスムーズに行われないというリスクは残る。発電事業者としての許認可が免除される発電能力の上限を0.5MWから引き上げることを政府に働きかける動きはあり、AMH内に設置された分散型電源に関する作業部会で議論されている。

メキシコには現時点で、水素に関する明確な法的枠組みが存在しない。AMHのウルタド会長は、生産した水素を車両やパイプラインにより運搬するための安全規格などを天然ガスに関する規格などを参考に整備する必要があるという。また、将来的には天然ガスと水素を混合した上で既存のインフラで供給する可能性があり、混合基準やパイプラインなどに関する規格などの整備も必要となる。

日本は世界に先駆けて2017年に水素基本戦略を策定、2019年3月には水素・燃料電池戦略ロードマップを策定している。諸外国では、ドイツが2020年6月、フランスが同年9月、スペインが同年10月、米国が同年11月に国家水素戦略を発表している。新興国では、南米のチリが2020年11月にグリーン水素国家戦略を発表しており、グリーン水素の製造と輸出の両面で世界を牽引する国家となるためのアクションプランを発表している。

ウルタド会長は、チリ同様に再生可能エネルギー資源が豊富なメキシコも、自国の国家水素戦略を策定し、適切な法規制の下で官民の資本を有効活用した発展の道を探るべきだと語る。AMHは国家水素戦略構築で重要な役割を果たすとし、既に連邦政府やCFE、PEMEXとも対話を開始しているという。連邦政府に対しては、AMLO政権下で建設が進められているマヤ鉄道(2018年12月25日付ビジネス短信参照)の動力源として水素を活用する提案、CFEには、天然ガスの代替熱源として水素を活用する提案、PEMEXには、他の国際的な石油会社同様、製油所で使用する水素をグリーン水素に転換する提案などを行っており、それぞれで前向きな対話ができているという。エネルギー省が2021年6月30日に発表した「国家電力系統開発計画2021-2035」では、天然ガスだきタービンによる発電所を水素燃焼によるものに変換することが、将来的な脱炭素化に向けたメキシコの発電部門での取り組み案として盛り込まれている。


注1:
風力や太陽光などの再生可能エネルギーを利用して二酸化炭素を排出させることなく水を電気分解し、水素と酸素に還元することで生産される水素。
注2:
天然ガスや石炭などの化石燃料を、蒸気メタン改質や自動熱分解などで水素と二酸化炭素に分解し、二酸化炭素を大気排出する前に回収するプロセスで生産される水素。二酸化炭素を回収しない水素は、グレー水素と呼ばれる。
注3:
行政府や立法府、司法府などの行為により、憲法が保障する国民や企業の基本的権利が侵害された場合、当該行為の差し止めと無効を求める裁判制度。
執筆者紹介
ジェトロ・メキシコ事務所長
中畑 貴雄(なかはた たかお)
1998年、ジェトロ入構。貿易開発部、海外調査部中南米課、ジェトロ・メキシコ事務所、海外調査部米州課を経て2018年3月からジェトロ・メキシコ事務所次長、2021年3月から現職。単著『メキシコ経済の基礎知識』、共著『FTAガイドブック2014』、共著『世界の医療機器市場』など。

ご質問・お問い合わせ